本が抱くもの

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「本だから抱けるものって、なんだろう?」

大学卒業後、大量に印刷するような本をつくる仕事を3年、Web媒体の仕事を3年、ぐるっと一周まわってZINE作家として手づくりの本を綴じはじめて3年。ずっと思いを巡らせていた問いでした。

わたしが印刷会社に飛び込んだ時期は、紙媒体がなくなりWebメディアへとどんどん切り替わっていった頃。「本である意味、本にしかないものはないのだろうか?」と答えを探しながら、時代の流れに抵抗したい一心でした。

縮小し続ける予算の中で「風合いや世界観を保つことができる良い提案紙や仕様はないだろうか?」と、購買部から製紙メーカーさんにかけあってもらったり、生産管理や品質管理の担当者の方に相談にいったり。しかし、大口案件であればあるほど想いだけでは埋めようがないところもあり「良いものをつくりたい」という想いとは裏腹に、使う紙は少しずつ薄くなり、仕様も簡易なものになり。一昔前の立派な本や遊び心の溢れる紙媒体を見返してから今のものを手にとると、多くの紙媒体が「紙として、本として届けること」の意味が薄れているようにすら感じました。

「このまま紙媒体はどうなってしまうのだろうか?」という不安を抱えながら、まずはWebについて知ろうと飛び込んだWeb業界。とにかくスピードが段違いで、画像とテキストさえあればそこにコンテンツを立ち現すことができ、ボタン1つで公開も修正も一瞬。一方で受け手の環境次第で見え方が変わってしまったり、ネットワークのどこかにトラブルが起こると一瞬で消えてしまったり。その不確かさや儚さ、掴みきれない実態と実感に戸惑うところもありました。

工場に見本誌を取りに行ったときのできたての本の温もりや匂い、そして生まれた時代の空気や光を吸い、手に取った人の跡が刻まれていく「時」を抱いている様。本にしか抱けないものもあるなと6年間の道を振り返りながら、自分なりに出した答えが「本は時を抱くことができるもの」「Webは距離を飛び越えることができるもの」でした。

そして、自分はやはり本を綴じたい。本であることの意味のある本をつくりたいと、風合いのある和紙を探したり、製本方法を学んだりしながら「掌の記憶」をはじめました。

時間が経つほどに、多くの人に手にとってもらうほどに馴染んでいく本を眺め、記憶を辿るのが一番のしあわせ。本を広めるためにこうしてWebサイトでもお知らせはしていて、かなりじっくり見てくださっている状況も嬉しいのですが、やはり先日の母校展示のように本を手にとっていただけることが一番嬉しいなと改めて思いました。また縁があれば、展示もしていきたいです。

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