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2016-10-22

旅の記憶 – 上佐曽利 –

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ダリアの里、上佐曽利(かみさそり)

「掌の記憶、お願いしたい人がいるの」と兵庫県宝塚市にあるGALLERY+CAFE muguetのオーナー友佳子さんに声をかけられたのは2016年秋のこと。同じ市内でダリア農家の3代目として故郷のために活動する、梓さんという女性の記憶を綴じるという依頼だった。

宝塚駅から山道を北へ、車で40分ほど。幾度か峠を越えると、宝塚の市街地からは想像できないほどのどかな山あいの田園風景が広がり、目的地の上佐曽利地区に着いた。昭和5年から80年以上続く全国有数のダリア生産地で、梓さんが生まれ育った故郷。車から降りると、息子さんを抱いた梓さんに笑顔で迎えられ「村」と呼ばれる小さな集落を歩く。夏と秋には約250種のダリアが咲く花園も開園して、お客さんで賑わうダリアの里。10月からの秋会期を前に蕾が膨らむ園の隣には、黄金色の稲穂が揺れ、畦道には真っ赤な彼岸花が静かに咲いていた。

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作業場の記憶

「ぜひ見てもらいたいものがあって」と案内されたのは、作業場と呼ばれる佐曽利園芸組合の建物。昭和の全盛期には毎年300万球近くの球根を生産していた頃から続く営みと、村の記憶が宿る場所だった。運搬車が通る道幅を空け、両端いっぱいに天井まで積み上げられた蒸篭や木棚。球根を蝋に浸す作業場、最盛期に稼働した大きな冷蔵室。輸出ダリヤ品種と記された昔の資料やタグなど、大小様々な欠片がそのままに在る。

「今でも椅子に座っておばちゃんからお菓子をもらったりすると、ふと思い出すんです」幼い頃から作業場にきて遊んでいたという梓さんの語りが添えられると、静かに眠る品々からダリア生産の様子がふっと立ち上がる。「ここにあるものが好きだし、味があって。輸出してた頃の資料も全部残っていて、昔の人が頑張って盛り上げてきはったんやなって」作業場に残る記憶は、梓さんが引き継いでいきたい村の大切な記憶だった。

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宝塚 ダリア花つみ園

2週間後、梓さんの案内で秋の開園を迎えたダリア園を訪れると、市内の子ども達も来園中。色とりどりのダリアの合間に赤い帽子があちこちで揺れ賑わっていた。球根生産を目的に間隔をあけずに植えられた園内のダリアは、畝ごとにこんもりと咲き広がっている。まん丸と花弁が重なるボール咲き、小ぶりなポンポン咲き、花弁の尖ったカクタス、一重のシングル咲き…市場には並ばない2色咲きなど珍しい品種も咲く。上佐曽利で生まれた品種もいくつか案内してもらいながら、この地で生まれた総数はどのくらいだろうかと尋ねると「ここ上佐曽利だけで四十数種類にのぼると聞いています」と笑顔で教えてくれた。

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花を摘むお客さんが見え隠れする園内で、絶えずダリアの手入れを続けていた村のお母さんたち。球根を守るために、傷んだ茎を見つけては手入れをし、咲き終わりの花も丁寧に摘み取る。二輪だけ端によけられた摘み花を写真におさめると「それはまだ綺麗だから、入り口に飾るの」と畝の間からお母さんが笑顔で教えてくれた。

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ダリア花の里生協店

「実はもう1つ見てもらいたい所があって」と梓さんに案内されたのは、先日訪れた作業場に隣接するダリア花の里生協店。日本一小さな生協で、生活用品から農機具まで扱い、昭和のダリア生産最盛期には売り上げ日本一にもなったことがあるほど。インターネットもない当時は、繁忙期の作業の合間に暮らしに必要なものを買うための村で唯一のお店だったのだという。外壁には美術の先生が描いてくれたという大きなダリア、店内にも写真や絵などが並び、小さな休憩所にもなっていた。

店内を抜けて裏の急な階段を上ると、昔組合の集まりで使っていたという和室が2つ。奥の部屋の窓を開けると、一面に収穫を終えた田んぼが広がった。「この村ではダリアの連作はあまりせず、稲作と交互に行います。目の前が全部ダリアで埋め尽くされる年もあるので、ぜひそれをこの部屋から見てもらえるようなことが何か出来ないかなあって」と窓の外を見つめる梓さん。この村で生まれ育った梓さんのだからこその言葉と眼差しの温かさが、じんわりと伝わるひと時だった。

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ダリアジェンヌ

お店に戻り、今から1年前に生まれたあるものを見せてもらう。長年廃棄されてきた、芽の出ないダリアの廃球を利用した手づくりの石鹸と化粧品「ダリアジェンヌ」。祖父の代から続くダリア農家、宮前農園の長女としてこの村で生まれ育ち、高校在学中に宝塚音楽学校に合格。宝塚歌劇の舞台に立っていた梓さんの歩みがそのまま名前になっている商品だった。2年前、結婚を機に帰郷し過疎化と高齢化実感。「村のみんなでできる唯一の共同作業、ダリアをなくしたくない」という想いから、色んな人に相談しながら商品づくりを始めたという。

梓さんが球根を1つずつ手で絞り、無添加の洗顔料と保湿クリームは群馬の化粧品会社、石鹸は同じ西谷地区にある手作り石鹸の会社の協力を得て生産している。「あーちゃんが頑張ってるんやから」と村の上の世代の方に助けられたり、市の関係者の方も応援してくれたり、1年で少しずつ輪が広がっているという。

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「続いていって欲しい」という言葉

ダリア園を眺めながら梓さんが何度も発していた「続いていって欲しい」という言葉。農家の後継者も減り、村の大半の人はダリアとの関わりが薄れつつある今「うちの村にはダリアがあるよ」とみんなに思ってもらえるような村を目指したいと、村の過去から未来を見つめる梓さんの想いを預かり綴じた、上佐曽利の「掌の記憶」。ダリアの里の記憶がつながり、少しずつ広がることを願いながら、ここに贈ります。

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取材後記

ダリアの里、上佐曽利。宝塚の市街地から車で40分ほどの山あいにあるその地区を初めて訪れたのは、2016年9月の秋分の日のこと。目の前にひろがるのどかな景色に、思わず深呼吸をした記憶があります。

その上佐曽利で生まれ育ち、自らの故郷を「村」と呼ぶ梓さん。村の1年を尋ねると、春は筍に山菜、夏は畑の野菜。秋には狩猟の音が響き、年内には積雪。その四季の巡りと共に昭和5年から続いてきたというダリアの球根生産は、11月末から球根掘り起し、年明け早々のに球根の発送作業と一番寒い時期に繁忙期が訪れます。そして4月にはダリア園の植え付けをし、夏と秋の2度の開花に合わせてダリア園を開園。その営みが80年以上、途切れることなく続いてきた村に宿る記憶は、確かに継がれてきた厚みと、人の手の温かみがありました。

「この村のダリアが、ずっと続いて欲しい」という1つの想いから、古い資料で歴史を辿り、知識をつけ、残されている道具や場所を大切に守る。そして今まで使われていなかったダリアの廃球を利用して、閑散期の新しい手仕事にも繋げていこうと新しい試みも行う。昔からの足あとを大切に、そして色んな人の助けや協力を得ながら故郷で活動する梓さんの想いに感動して、気が付くと載せきれないほどの写真と言葉を預かっていていました。

まだまだ伝えたい記憶が溢れている『掌の記憶』-上佐曽利-ですが、その中でも特に綴じたいものをぎゅっと集めて、ここにお贈りします。

Interview,Writing,Photo :藤田理代(michi-siruve)
2016年9-10月取材
*Special Thanks 宮前農園 ダリアジェンヌ

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