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2016-06-17

「掌の記憶」が預かるもの

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2015年秋からはじまった「掌の記憶」。本づくりへの想いを綴った言葉と、小さな本をのせた掌の写真1枚の小さなリーフレットを出会った人に配ることからはじまったこの活動ですが。少しずつ書き溜めた「本にこめた想い」を、半年を過ぎた節目にじっくりと読み直してみました。

「掌の記憶」のきっかけでもある「本に綴じてのこしたい」という切な気持ちが、10歳の頃、震災後の町に越して育った記憶からはじまっていて。10年後に訪れた故郷の景色の変わりようや、病気で旅立った家族への後悔など、喪失の記憶が強く影響していること。

「本に綴じる」という行為自体も、わたしのがん闘病中に他界した祖母への弔いのために遺品を綴じた本からはじまったこともあり、最初の頃に綴った文章には「大切に残されているものが、消えてしまう前に綴じたい」という想いが強く、選んだ言葉にもその気持ちが滲んでいました。

がんの再発の不安も抱えながらの制作で、明日また何が起こるかわからない、次が最後の1冊になるかもしれないという気持ちも強かったのかもしれません。

 

でも実際に記憶を預かっていくと「形を残していないもの」であっても、人の心の中に残っているものがたくさんあって。そのことを、記憶の持ち主のみなさんから教えてもらった制作の日々でした。そして「形を残していないもの」であっても預かり綴じることもできるという実感も、少しずつ積み重なっていきました。

生きた分だけ、出会った数だけ本が集まり、徐々に気持ちも解れて選ぶ言葉もしなやかさを取り戻してきたような。そんなこともあり、「掌の記憶」のWebを遡って、はじまりのことばからちょこちょこっと整えています。

ちなみに、私の手元で預かっている「掌の記憶」はふいに出会った人にも手渡せるように、いつもその日の数冊選び藍染の布に包んで鞄に忍ばせています。「今日はどんな記憶が入ってるの?」と一声いただけたら小さな本をひょこっとお渡ししますので、ぜひお声がけください。

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*最初に添えた掌の写真(持っているのは『otomo.』の豆本でした)

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