「掌の記憶」柏原 巻末特集
HAUSのおしごと
HAUS


ドイツ語で「おうち」の意味を持つ「HAUS(ハオス)」は元々由紀子さんが大切にしていた言葉。 「みんながそこで休んでまた力をためて外に行けるような」建物としての家(HOUSE)ではなく、その中で育まれる家庭(HOME)という意味での「おうち」。そこを大切にしたいという、直治さんと由紀子さんの共通の想いでもある。
自宅や仕事場、みんなのおうちなど、偶然出会った面白そうな場所にお互いの人生経験や想いを持ち寄り作ってきたさまざまな「おうち」。これからも職人として、仕事として関わっていきたい。そんな二人のこれからへの想いがHAUSという屋号にはこめられている。
あさやけさん(2006年~)



暮らし始めて19年になる「あさやけさん」は、直治さんと由紀子さんが最初に一緒に作ったおうち。東と南に窓がある最上階のメゾネットで、明るさと間取りの面白さに惹かれて中古で購入し、暮らしながら少しずつリフォームした。
「古いのを壊すとどんどん景色が変わっていった」という言葉の通り、壁紙も天井も床も取っ払い、細かく仕切られていた部屋やキッチンの壁もなくして、家族が緩く繋がる空間に。木の温もりを感じる床や家族の気配が感じられる小窓など、二人が大切にしたい家庭やおうちへの想いが宿る。
子どもたちの成長や暮らし方の変化に応じて空間のあり方を少しずつ変えながら二人で作ってきた家族のおうちであるこの空間は、二人の想う「HAUS」を感じることができる大切な場所。
ブルックファーム(2009年~)


ご近所さんとの縁で出会った、ぶどう畑の休耕地で直治さんが始めた「ブルックファーム」は、有機栽培で果樹や野菜などを育てる小さな畑。原風景は三重にある由紀子さんの実家の畑で、自分たちで育てた物を収穫して味わうという体験が、都会育ちの直治さんには憧れだった。
8年ほど休耕地となり、生い茂った木や草を刈るところから少しずつ始めて15年。景色も作物もその時々で変わりながらも、毎年採れる蕨やブルーベリー、地主さんのお墓に手向ける気持ちで植えたしだれ黄梅、子どもたちが小さい頃に植えた果樹、親戚から譲り受けた紫陽花や雪柳の苗木など、思い出の木も残っている。
「僕からしたらここは未来があるような気がして、大事なもんで、どう良く残せるやろうみたいな。これもHAUSの仕事」
みんなのおうち(2015年~)


近所にあった鈴木歯科さんの空き家を少しずつ手入れし、2015年から始めた「みんなのおうち」は、誰にも使われなくなった空き家をみんなで使っていく営み。
地下はシャッター付きの車庫、1階は歯科医院だったガラス張りの部屋、2階から上の住居階には、ピアノ付のリビングに和室、ダイニングキッチン、浴室、防音室、和室、サンルーム、書斎、ルーフトップのバルコニーと趣の違う部屋が続く。
「この建物が魅力的やったから、残したら何か面白いことできるなって」
書道やピアノやお琴のお教室、振袖や家族写真の撮影会、地域交流サロンなど、みんながやりたいことに合わせて内装や設備を整えながら、少しずつみんなのおうちとして育ってきた。
「これも僕にとってのHAUSの仕事」
家族とハレの日(2016年~)



「家族とハレの日」は、ハレの日のお祝いに晴れ着を纏い、みんなのおうちで大切な人たちとお祝いする団欒のひとときを本にしてお贈りする、和裁士とZINE作家の小さなプロジェクト。着物のお仕立てや貸し出し、コーディネートの相談、着付けまで、由紀子さんが相談にのりながら一日をサポートする。
みんなのおうちでのんびり着付けや記念撮影を楽しんだり、ダイニングの丸テーブルを囲んでお食事をしたり。徒歩2分ほどの距離には四季折々の景色が美しい神社もあり、気軽にロケーション撮影も体験できる。
それぞれの家族のスタイルでハレの日を楽しんでもらいながら、着物や和裁に触れる思い出を贈る。和裁士としての小さな願いも込めた、由紀子さんの仕事。
みんなのおうち展(2020年~)



「みんなのおうち」がいろんな人をフューチャーして展覧会を開く企画として始まった「みんなのおうち展」。第1回はみんなのおうちで書道教室を開いている書道家 芝苑先生の作品を展示した。
「受賞歴があったり立派なものが多くて、ちょっと貸してって」一棟を丸ごと使い、あちこちに作品を展示し、創作の実演や書道の体験コーナーも作った。「コロナ禍の隙間に一瞬できたねっていう時期だったけど、出会いがあって刺激もあったね」
ゆうやけさん(2020年~)



コロナ禍に「あさやけさん」と同じマンション内で購入した築古のお部屋。リビング一面に広がる西向きのバルコニーは大阪平野が一望でき、夕焼けや夜景を眺めながら「外の世界」を感じることができる。
当初は「少し離れて暮らす母が近くに住めたら」とリフォームを計画したが、少しずつ気持ちや事情も変わり、HAUSの二人が気持ちの良い空間を設えることに。
「子どもの頃の寂しい記憶が宿る夕方や夕日をええもんに変えたい」という直治さんの想いから、夕日が映える内装になり、名前も「ゆうやけさん」になった。
2024年秋には、由紀子さんの和裁の仕事復帰を機に奥の和室が和裁専用の仕事部屋となり、直治さんの事務所も移した。HAUSの新しい事務所・仕事場として、仕事を通して社会と繋がる場所。
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