「掌」のわけ

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綴じてのこしたいものは「記憶」でも、一体どんな記憶だろう?

まだ「掌の記憶」ができる前のこと。この活動の真ん中に置く言葉をぐずぐずと考えていた頃、ウォークマンから「掌」という曲が流れてきました。学生の頃よく聴いていて、がんの治療中や治療後に何だか改めて聴き直すようになった思い出の曲。そういえばこの漢字、この曲を聴くまで知らなかったな…と改めて辞書をひくと「てのひら」「たなごころ」と読み、「手にもつ」「つかさどる」という意味も持つ文字だと知りました。

その時思い出したのが、この活動をはじめるきっかけとなった祖母の手の写真。亡くなる半年ほど前、古いカメラで祖母が大切にしている持ち物の撮影をはじめた時の写真です。弱った自分の姿は撮らないでと言われ、壊れた時計を大事に包んだ祖母の手をこっそり1枚だけ。それが唯一、祖母をおさめた写真です。ピンぼけなのに、手だけなのに、不思議と祖母を感じる大切な写真でした。

食べるもの、着るもの。できる範囲の手づくりで、暮らしの品を大切に使い込んでいた祖母の暮らしは控え目であたたかくて。暮らしの品に宿る思い出を聴きながら、祖母の人生や心に触れる時間が大好きでした。

これからもそんな記憶を集めていきたくて、掌に触れるもの、掌が語るもの、そこに宿る作り手と使い手の記憶を手づくりの本に綴じようと「掌の記憶」が生まれました。

掌から掌へ。掌にすっぽりおさまる記憶の欠片が、手にとった人の心になにか触れ、記憶の呼び水になるような本を贈りたい。そんな「掌」のわけとはじまりの写真も添えて、ここに記しておきます。

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