旅の記憶 – 柏原 –

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ハレの日に、ハレの着物を

「姪っ子の成人のお祝いの1日を本に綴じたい」と和裁士の由紀子さんからお声がけいただいたのは、2015年の秋。その年の暮れに大阪府柏原市のHAUSへ伺うと、姪っ子さん家族を中心に親戚一同が集まっていた。

成人を迎えたお姉さんと、2年後に成人を迎える妹さんも一緒に。由紀子さんの仕立てた振袖を着てお参りし、賑やかに鍋を囲みながらお祝いの一時を過ごす。

「人生のハレの日に、ハレの日の着物を」という、和裁士として大切にしている想いが形になった1日だった。

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由紀子さんと出会って知った、着物や和裁の世界。父方の曾祖母、父方と母方の祖母も和裁士だったという由紀子さんのお家の話を聴くうちに、和裁士の記憶を綴じた「掌の記憶」を一緒に作りたいと思うようになり、翌年に改めて仕事場のあるご自宅へ伺った。

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和裁士の仕事部屋

HAUSから目と鼻の先のマンションにある由紀子さんのご自宅。ご主人の直治さんは棟梁という職人夫妻で、お二人のこだわりで心地良くリノベーションされた室内は、お日さまと木の温もりに満ちていた。

由紀子さんの仕事部屋はリビングの隣にある小さな和室。焼き桐の箪笥、和裁台に座布団、針山、竹尺、こて、アイロン、噴霧器、針と糸…とてもシンプルな和裁士の道具が静かに並ぶ。

高価な反物を預かり、1ミクロの世界で向き合うこの部屋には、3人の子どもたちはもちろん遊びに来たお友だちも入らないという決め事があって、開ききった扉の向こう側とリビングの間には、見えない壁を感じるほど職人の気配が漂っていた。

19歳の時に和裁所に入り、住み込みと通いでの5年間の修行を入れるとこの道23年。針山や地直しで使う日本手ぬぐいなど、道具の大半は和裁所に入った時に先生に揃えてもらったものだという。

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1枚に20時間

「ちょうど洗い張りした叔母の反物があるから」と運針をみせてもらうと、反物がするすると波打つ様子に見とれるうちにすいすいと針先が進む。

1分間に100針以上と進むよう訓練されたというその技術は、美しさを保ってたなびく長い反物の様が物語り、1枚仕立てるのに20時間という「和裁士として食べていける時間」を淡々と刻む。

反物の状態を見極め、早さと正確さを以って仕立てる。数多の職人が襷を繋いだ末に目の前にある反物に鋏を入れ、針を通すには並ならぬ覚悟がいる。

淡々と進む手先に込められた、職人の心を知る本物の和裁士だからこそのひと裁ち、ひと針ごとの緊張感は、言葉に変えることはできないものがあった。

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大切な着物

愛おしそうに着物に触れる姿や和裁について語る熱のこもった言葉とは裏腹に「自分は着物好きという訳ではない」と言い切る由紀子さん。

数え切れないほどの着物を仕立ててきた中で、今も手元にある大切な着物は「かあちゃん」と呼んで慕う、和裁士だった亡き祖母たまさんが仕立てた着物が10枚ほど。あとはかあちゃんと初めて一緒に仕立てた浴衣が1枚、ご自身が初めて1人で仕立てた浴衣と振袖と着物が1枚ずつ。

一番大好きで尊敬する人物であり、10代の大変だった時期を支えてくれたかあちゃんが教えてくれた和裁だからその道に進み、今も大切に思い続けているのだという。

由紀子さんにとって着物は、衣服に留まらない、和裁という技術を以って向き合い続ける日本の伝統であり、大好きな祖母が導いてくれた生きるための力、生きている営みそのものなのだ。

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一番大切なもの

そんな由紀子さんの一番大切なものは何かと尋ねると、迷いなくご主人の直治さんだと返ってきた。

大好きな祖父母や和裁の先生の所縁のもの、和裁を通して得たものも大切。でも、自分の生きる力の源でもある「和裁に対する想い」をずっと守り続けてくれる直治さんがいるからこそ、和裁の技術を安売りすることなく、和裁とは何かを一生かけて追究したいという職人としての想いを大切に持ち続けることができているのだという。

「僕も職人で、職人もいっぱい見てきたけれど、この人には敵わへんなって」と笑いながら、少し離れた椅子から見守る直治さん。和裁の道に進んだ10代の頃から変わらず一番傍で見守るその眼差しから、理解して「守る」人の存在は、職人の心と技術、そして職人が職人として在り続けるために一番大切な存在なのだと感じた瞬間だった。

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撮影を終え、お昼の支度が始まる。和裁と同じくらい家族のための三度の食事を大切にしていると、親戚から届いた野菜で作られた優しい手料理が食卓に並ぶ。

暫くすると3人の子どもたちのただいまという声が響き、職人夫妻は父母の顔に戻り、家族の時間が流れていた。

そんな一時を共にしながら、職人の心と技、見守る家族の眼差しに触れた柏原の「掌の記憶」。思い出の振袖色に綴じた大切な想いを、ここに贈ります。

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取材後記

曾祖母、祖母と同じ和裁士の道を歩む大阪府柏原市の由紀子さんは、夫の直治さんが棟梁で、職人同士のご夫妻。

「職人の伝統技術を守る」大きく考えしまうとぼんやりとしてしまうものでも、偶然出会った1つの家族、目の前にいる1人の和裁士さんからの言葉として預かると、ぐっと実感として残るものがありました。

一番印象残っているのはインタビュー終盤「私の大切なもの、何を綴じてもらおうかと考えていたのだけれど……」と由紀子が伝えてくださった言葉でした。

祖母から譲り受けた大切な品や和裁を通して得たもの以上に、自分の生きる力の源でもある「和裁に対する想い」をずっと守り続けてくれる直治さんが一番大切とおっしゃっていた由紀子さんの言葉と「職人としてこの人には敵わへんからなぁ」という直治さんのお返事。日々の営みでは中々共有することのないその言葉を交わす場に立ち会えたこと、そしてこの本を通して3人のお子さまや、和裁の仕事を通して出会うお客さまにもお伝えできたことがとても嬉しかった記憶があります。

「この言葉はお互いの胸にしまっておこうか」「この言葉は綴じて伝えようか」と考えながら、結局本に綴じている内容は写真も言葉も本の一握りですが、取材で過ごした時間で共有したすべてがお互いの記憶に刻まれていて、きっとそれが一番の宝物。専用の布袋も作って持ち歩いてくださっているそうで、そんなこともとても嬉しい1冊でした。

Interview,Writing,Photo :藤田理代(michi-siruve
2016年2月23日取材
*Special Thanks yucco

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