旅の記憶 – 御手洗 –

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御手洗への旅 

「あの町で何を綴じてくれるだろう?」と放浪書房のとみーさんに声をかけられたのは2015年9月。場所は伊丹の猪名野神社だった。

11月に広島の大崎下島にある御手洗という港町で、全国から小商いが集まる見本市を開くという。江戸時代の町並みが残る港町という言葉に惹かれ、3泊5日の取材旅を決めた。

大阪から呉まで夜行バスで約9時間、さらに呉から瀬戸内の島々を繋ぐ安芸灘とびしま海道を通る路線バスへと乗り換え1時間半。始発駅には私1人で、気さくな運転手さんが御手洗には日本で一番古い時計屋さんがあると教えてくれた。

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御手洗港のバス停を降りると海に面した恵美須神社の鳥居があり、そこから海沿いに東西へ300mほど広がるのが御手洗地区。

約20年前に重要伝統的建造物群保存地区に選定され、美しく修復された江戸期の建物、大正期の洋館や昭和期の民家が時代の諧調を成し、その後ろの山間には蜜柑畑が広がっていた。

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港町の記憶

集合場所の潮待ち館に着くと、荷車いっぱいに色とりどりの花を載せた町の女性が集まり、町の軒先に下げられた簾と竹筒に花を生けていた。すべて御手洗の町で咲く花で、毎日花を生けて町をまわっているという。

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路地を抜けて海沿いを歩くと、祖父と同年代だろうか、旧船宿で小さな船の模型を作る船大工さんの工房があった。

海の向こうに見える愛媛県今治市との間にある来島海峡は日本3大急潮の海の難所で、風や潮の流れが変わるまで船が待つ港として栄えたのだという。昔は海岸沿いに松の木が並び、夕方になると赤提灯が灯り、北前船や遊女を乗せたおちょろ船で賑わい風情があったのだと、煙草を燻らせながら教えてくれた。

この町で生まれ育ち船大工の仕事一筋だったという職人さんの語りを聴きながら視線をあげると、視界を遮る無機質な堤防にもかつての華やかな情景がふっと重なった気がした。

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残さなくてはいけないもの

路地へ戻り、バスで教わった新光時計店の前で100年以上前のものだという大きな時計を眺めていると、ちょうど祖母と同年代くらいの優しい笑顔の女性に出会い、自宅が江戸末期の海産物問屋の建物だからと快く中を見せてくださった。

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静かに飾られている、持ち主もわからぬほど昔の品々。蔵の中まで覗くと3時間近くかかっても見切れないほど。

離れの蝙蝠の建具など、京都や大阪の文化に通じるものが随所に残る。御手洗全盛期、京都から海外まで確かに続いていた海の路の証となっているのだという。

最後に「一番見せたいものがある」と2階の押入の奥から屋根裏に繋がる扉へと案内され、懐中電灯で照らされた屋根裏を覗くと巨木のように立派な梁が横たわっていた。

「この梁を見てこの家は絶対に残さなくてはと修繕を決めたのよ」という言葉のとおり、昔の品々や海鼠壁の外壁以上に、人知れずここに在り続けるこの梁の存在感と息遣いに、私も深く心を動かされた。

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たおやかな人

3日間続いた見本市が終わり、主催した広島県庁の方々と出展者、町の方々が集い宴会が開かれた。移住支援の一環として、豊かな歴史が在りながらも高齢化と過疎化の進む町での新しい試みでもあり、内外からの視点を交え、1人ずつ想いを伝え合えた夜だった。

滞在最終日は、昨夜の会でご一緒した女性のご自宅に伺った。御手洗はおばあさまの故郷で、嫁ぎ先だった呉の町が空襲を受け、御手洗へ戻り今の家に移り住んだのだという。短い時間ながら、元々は材木屋の建物だったという立派な家の中を拝見した。

実は御手洗で最初に訪れた洋館でお茶を点ててくださったお茶の先生でもあり、たおやかな方だなと印象に残っていた方。4日間の滞在中にこうしてまた違った関係でお茶をいただき、嬉しいご縁を感じた。今度またゆっくりいらしてくださいと温かい言葉をいただき、この旅で最後の約束の場所へと向かった。

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最後の約束

旅の最後の約束はこの春に東京から御手洗へ移住された写真家、トム 宮川 コールトンさんの写真館での撮影だった。見本市の初日に作品を拝見して、一瞬の「時」をトムさんの静かで優しい眼差しで捉えた繊細な作品に惹かれて話を伺い、宴会の席でも改めてお話する機会に恵まれたのだ。

歳も近く、私が古い記憶を綴じる活動をしていることを伝えると、裏や2階にも古いものが残っているよと快く案内してくれた。

旧JA豊支所。その前は郵便局だったという大正時代の建物には、年代を感じる品がそのまま残されていた。空き家として眠っていたこの場所が再び扉が開かれたことで、かつてここに勤めていた方がいらして懐かしんだり、人が集う空間として息を吹き返している。

「のこしたい」という想いで写真を撮り続けているというトムさんの言葉と想いを同じく、館内に残された品々を撮影させていただいた。

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記憶が眠る町

写真館の撮影を終え、帰りのバスまでの間に改めて町の端から端まで歩きながら写真におさめる。外からの客人が去り、眠ったように静まりかえる平日の町。葉脈のように広がる細い路地のあちこちで、風に揺られる花が静かに語り掛けてくる。

今回の旅ではとても集めきれなかった数多の記憶が眠る、御手洗の「掌の記憶」。いつも目の前に在る海の碧とともに綴じた記憶の欠片を、ここに贈ります。

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取材後記

放浪書房のとみーさんに誘われて2015年11月に最初に訪れた、広島県の大崎下島にある御手洗という港町。

戦火や自然災害を免れた江戸時代からの町並みを残す港町を巡りながら、おちょろ船の模型を彫り続ける船大工の男性、江戸末期の建物を大切にしながら暮らす女性、呉の空襲の後に御手洗へ戻ってきたお宅の女性、昨年東京から移住し大正時代の郵便局跡地に写真館を開いた写真家のトムさんなど、旅の中で出会った方の記憶を預かり「御手洗」という町の記憶を緩やかに綴じました。

写真を縦に連ねた「掌」文章を横に連ねた「記憶」を組み合わせた2冊組という装丁に至るまで、ああでもないこうでもないと悩んで3ヶ月。かなりお待たせしてしまったものの、皆さんがとても喜んでくださった思い出の1冊です。

町を発つ娘さんが「この本で自分の故郷を紹介したい」と持っていってくださったり、丁寧にお手紙をくださったり、本をお贈りしてからいただいた言葉で、町の皆さんが御手洗という町を大切にされていることを改めて感じた掌の記憶でした。

Interview,Writing,Photo :藤田理代(michi-siruve
2015年11月取材
*Special Thanks 放浪書房、広島小商いメッセin海の街、御手洗地区の皆さま、御手洗重伝建を考える会

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