旅の記憶 – 御手洗 –

大正時代の洋館

2015年秋。「掌の記憶」の最初の取材で訪れた、広島県 大崎下島の小さな港町・御手洗。訪れて1年が過ぎた頃、空き家だった大正時代の洋館をゲストハウスに改修するという報せが届いた。

大正2年に建ち、今年で築105年を迎える3階建ての洋館「越智医院跡」。御手洗の町の診療所として長年続き、医院が隣町へ移転した後も映画のロケで使用されたこともある。2年前の取材でも町のシンボル的な存在であると聞いていた建物だった。

その洋館の住居部分を、旅人が集うゲストハウス旅籠屋「醫」(KUSUSHI)に。表の診療所部分は、宿泊者限定の「Bar醫」へ。数年前から御手洗の古い建物や空き家を改装し、新たな場として町にひらいてきた井上明さんが中心となって改装を進め、2017年春にオープン。再び町にひらかれた歴史ある洋館の記憶を伺おうと2017年8月末に御手洗を再訪し、井上さんにお会いした。

昔の記憶を掘り起こす

竹原港から高速船で1時間弱。快晴の瀬戸内の海は穏やかで、江戸時代から続く御手洗の町は相変わらず静かで心地よい。洋館の裏側に醫の看板があり、数寄屋門をくぐると洋館裏側の入り口に着いた。

「ではまず入口から」と井上さんの案内で中へ。見上げるほど高い天井と年季の入った木の柱や土壁が広がる。その場で見せてくれた改装前の写真は辺り一面がプリントベニヤで覆われていて、同じ空間とはとても思えない。

「剥がしてみたら昔の壁や天井が出てきて、こっちの方が面白いなって」。御手洗に残る古い建物の多くは仕事場と住居が一体となり、時代を超えて住まれてきたもの。これまで改修した建物も暮らしやすいように改修が重ねられいて、剥がして昔の姿を蘇らせた所もあったという。

「床も剥がしたら出てきて、だいぶ磨いたんだけど」と暮らしの跡が刻まれた框に触れる。一つずつ掘り起こし、磨き上げ見せる。言葉そのままの地道な行為の積み重ねだった。

「今ここにいます」と1階の居間で見せてもらった古い図面。戦中に改装した前後の図面で、今回の改装中に出てきたもの。階段の上の鴨居や渡り廊下の跡など、図面から謎が解けたものもある。

一段ずつ鯉の模様が泳ぐ古い階段を上ると、洋館らしい大きな硝子窓からほんのり青みがかった光が射す。和室を改装して綺麗に整えられたドミトリーが2部屋。角部屋の個室は三方に観音開きの大きな窓。視界の先には青い海も見える。

和と洋、古と新。目を凝らすと建物が歩んできた各時代の名残があちこちにあり、何とも言えない面白さがあった。

1階に戻ると、診療所部分を改装したBar醫へ。受付跡がカウンター席、待合室がソファ席、奥にテーブル席が並ぶ。その日の夜は井上さんがマスターとなり、個室に連泊していた親子も合流。飲み物を片手にそれぞれの旅の理由や普段の暮らしについて語り合った。

「人との出会いも旅の思い出になれば」という、井上さんの言葉どおりの夜だった。

朝日と満月が昇る宿

翌日、改装中の建物も見せてもらえることになり、醫から歩いてすぐの海沿いの建物へ。戦前は旅館、戦後は住居として使われた後、40年近く空き家だったという。

1階がレストラン、2階は一組限定宿に。「ここも良く風が通るんよ」改修前の古い窓を外してもらうと風が通り抜け、目の前いっぱいに御手洗の海が広がった。

遮るものは何もなく、静かな海に朝日と満月が昇る。「昔はずっと石垣で、松が所々に植えてあったらしいんよ」と井上さん。町の人から聞いた昔の景色を重ね「いつかこの防波堤も直したい」と、こっそり教えてくれた。

「ガラス戸が外なん?」窓を戻していると、通りがかり町の女性から声がかかる。「雨戸が一番手前にあるんです」と、昔の住人が作り足したのであろう不思議な構造を説明していると、後ろからきた別の女性も加わり「おかしいじゃろそりゃな」と一同ひと笑い。空き家がひらかれたことで町の人が自然と集まり会話が広がる様子を見て、何だか温かい気持ちになった。

場を引き継ぎ、記憶を集める

奧さんの地元・呉に移住したことを機に、観光ボランティアの講座で御手洗と出会った井上さん。

町並みや人に魅かれるうちに、訪れた人が休憩・滞在できる場を作ろうと2011年に船宿カフェ 若長をオープン。薩摩藩船宿跡 脇屋、鍋焼きうどん 尾収屋、潮待ち館、旅籠屋 醫、閑月庵 新豊、新たに改装を始める港町長屋 染初も含めて7店舗。それぞれの建物の歴史や持ち主の物語を大切に、町の内外の大工や建築家の力も借り、場を育てる人を町の外から呼び込む。

カフェやギャラリー、ゲストハウスに一組限定宿。移住体験や滞在制作ができるシェアハウスも揃う。

場を引き継ぐことと並行して、町の空き家の情報を取りまとめて移住希望者に紹介しやすい仕組みを作ったり、年配の方へ取材を行い昔の町の記憶をアーカイブしたり。町の若手にも声をかけ、町の資源や記憶を集めて次の世代に伝えてゆく仕組みづくりにも取り組む。

場づくりの先に生まれる「かたち」

御手洗内外の多くの人も力を借りながら、関わってきた日々を振り返り「町の外にも目を向ける中で、御手洗に根付いた暮らしや文化から、次の世代に伝えれるもの、残せるものもあると思っていて」と言葉を探る井上さん。「それを一つずつ掘り下げて、何かこうかたちにしたい」と、最後に一言添えた。

場づくりの先に生まれる「かたち」。たのしみに見守りながら、29篇目の「掌の記憶」を贈ります。

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取材後記

大正時代の洋館を改装した“醫”の記憶をお預かりしようと御手洗を訪れたのは、2017年8月末のこと。半年以上も記憶をお預かりしたまま綴じあぐねてしまっていた夏の記憶が、ようやく形になりました。取材当時は改装中だった海沿いの一組限定宿「閑月庵 新豊」。あの磨き上げられる前の空間が一体どのように生まれ変わるのか気になり、最後の1ピースが埋まらないような気持ちで随分と寝かせてしまいました。2018年2月末。新豊オープンのメッセージと共に受け取った、美しく設え直された格子窓の向こうに透けてみえる海の景色。あの日井上さんが語ってくださったイメージが形になった姿を目にしてようやくピースが埋まり、御手洗の記憶がまとまりました。

今回の取材で改めて実感した、御手洗の建物の面白さ。商いの場や住居として、長年人が暮らしながら住み継がれた建物には、江戸から今日までの時代の文化の名残や、何代にも渡る住人の暮らしの跡が幾重にも積み重なっていました。それを引き継ぎ、掘り起こし、磨き直すことを続けている井上さんの言葉。町の内外へ、そして次の世代へ。伝えたい、のこしたいというまっすぐな想い。想いは行為の積み重ねによってかたちになるということを、改めて教わりました。

随分お待たせしてしまいましたが、取材を通して触れた昔と今の御手洗の記憶を、ここに贈ります。

Writing,Photo :藤田理代(michi-siruve
2017年8月取材
*Special Thanks 合同会社よーそろ

*Special Thanks 旅籠屋醫(KUSUSHI)

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