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2016-02-10

旅の記憶 – 音川 –

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音川への旅

2015年12月末。「私の祖母の記憶を綴じて欲しい」というご依頼で伺ったのが冬の富山。長年豆腐屋さんを営んでいたというおばあさまの暮らしの品と記憶を綴じるために、青空事務所のなおみさんの案内で彼女の故郷へ。大阪から富山まで高速バスと車を乗り継いで約7時間、富山駅からはなおみさんのお母さんの車でさらに川の上流へと進み、雪の舞う音川の町へと向かった。

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川の音の響く町

翌朝目覚めると、窓の外は一面の雪景色。今年は暖冬で、私たちがくる少し前にようやく初雪を迎えたという。きんと冷えた空気は大阪のそれとは違っていて、石油ストーブの懐かしい匂いとともに冷えた体を温める。夜間の移動で自分の位置がいまいち掴めず「なおみさんの故郷にきた」という漠然とした実感の目覚め。音川からちょうど東に50kmほど先に立山連峰があり、晴れた日にもう少し小高い場所に行くと立山連峰が綺麗に見えるよと教わり、なるほどそのあたりなのかと少しだけ日本地図の中の自分の位置が掴めた。

「今日は晴れるから、雪が溶けてしまう前に町を歩こう」と長靴一式を借り、雪に覆われた朝の里山へと出かける。一面の雪景色の町に、感じる気配はなおみさんと私だけ。凛と澄みきった静寂の中に、そばを流れる山田川の川の音だけが優しく響く。この町が音川村から婦中町に名を変えて半世紀以上経つが、なおみさんをはじめ出会った人は皆、このふるさとを「音川」という。川の音が静かに響くこの地には、音川という名前がよく似合っているように感じた。

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通学路の記憶

家のすぐ横にある山を登り「お宮さん」と呼ばれる集落の神社へお参りする。この地域には集落に一つずつ神社があって、森の向こうには隣の集落の神社も見える。お宮さんの山を下り、片道1時間ほどかかるといいうなおみさんの母校への通学路を途中まで辿る。子どもの頃に喉を潤したという沢水は今も流れ、蛍の里や遠くに望む牛岳は変わらず在る。そこに宿る記憶を語るなおみさんの表情はとても生き生きしていた。

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町のお豆腐屋さん

なおみさんの家はこの音川で、3代にわたりお豆腐屋さんを営んでいた。おばあさまが82歳の時に店は閉め、道具の大半はお弟子さんに譲られていたが「豆腐場」と呼ばれるお店のあった一階には、お豆腐屋さんの記憶をのこす品が在った。お店で使っていたエプロンを縫い直した袋、升や五つ玉の算盤などののこされた道具を撮影しながら、豆腐作りから配達までこなしていたおばあさまの記憶を辿る。使い込まれた古道具には暮らしの跡がしみこんでいて、日々の営みの積み重ね感じさせる不思議な存在感があった。

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土から土へと巡る環

あっという間に雪が解け、家の前に広がる田畑が顔を出す。庭木の根元には仏壇に供えられていた花が還されていて、溶けた雪の合間からは南天や寒菊が元気に顔を出していた。毎年庭の梅の木になった実から作られる梅干しは豆腐場に仕舞われているざるを紅に染め、家のあちこちにはおばあさまが育てた野菜やお米が眠り、お漬物やおでんにお味噌汁と、毎日の食卓を彩る。おばあさまの暮らしの品を追うと浮かび上がる、土から土へと巡る自然の環。音川では当たり前の自然の循環が、都会で土から離れて暮らす私にはとても新鮮に感じられた。

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大切なもの

滞在中、家に残る昔のものをたくさん撮影させていただいた。一番心に残っているのは、最終日の夜炬燵に入っていた時の一言。おばあさまが富山弁でふっと話かけてくれた「昔はお金があっても買えんが」という言葉だった。赤子のおむつの布が足りなければ母親の浴衣をほどいて使い、布団の綿が足りなければ母親の綿を抜いて子どもの布団へと移し、やっと手に入った煮干し一袋を集落の皆で少しずつ分け合ったと、私たちの知らない戦時中の苦しかった時代の記憶を伝えてくれた。

「大切なものを綴じたい」と訪れた私に、大切なものだから今も形を残しているとは限らないこと、愛情という形に変えて消えていったものもたくさんあることを、そっと教えてくれた言葉だった。

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掌から掌へ

お預かりした記憶を大阪に持ち帰り「掌の記憶」を綴じる。音川の雪色に染まったその本はなぜかほんのりあたたかく、それを手にとる人の表情もまたあたたかい。誰しもが心の中にあり、またはありたいと願う故郷の町。時の流れととともに移ろい失われていくものはあっても、一人ひとりの心の中にある記憶を綴じていくことで、のこして、共有して、繋いでいけるものもある。音川の「掌の記憶」の制作をとおしてそんなことを感じた。

そんな今回の旅のきっかけをくださり、ふるさとのまち音川を案内してくださったなおみさん、そしてあたたかく迎えてくださったご家族の皆様への感謝の気持ちをこめて、掌から掌へ人の記憶を繋ぐはじまりの1冊をここに贈ります。

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取材後記

11月の御手洗行きが決まり「掌の記憶」のメインコピーを考えていた時、最初にそのコピーを読み「私のおばあちゃんの記憶も綴じて欲しいな」と声をかけてくれたのが、池田でエコツアーのディレクターをしているなおみさん。11月に御手洗で預かった記憶を綴じあぐねたまま、12月末になおみさんの故郷、富山県の音川を訪れました。

そもそも私の「綴じたい」という切な気持ちが、震災後の町での暮らしや10年間ぶりに訪れた故郷の変わりよう、身内との別れといった喪失感からきていたこと。さらに「掌の記憶」は私の闘病中に他界した祖母への弔いのためにはじめた遺品を綴じる本づくりから始まったという流れから「大切に残されているものが消えてしまう前に綴じたい」という想いが強かったはじまり。音川に伺い、92歳のおばあさまの記憶を綴じながら教わったことは「大切なものだから今も形を残しているとは限らない」ということ。そして「愛情という形に変えて消えていったものもたくさんある」ということでした。

その時を境に「形を残しているモノ(生きた軌跡)を綴じる」ことへの執着から離れ「その人が大切にしているものや、その人と過ごした時間(生きている時間)を綴じる」という今のスタイルに。綴じあぐねていた装丁も閃き、孫のなおみさんの故郷での記憶と、おばあさまの記憶を1つに綴じたこの音川の記憶が1冊目の「掌の記憶」として生まれました。マチオモイ帖に展示した際も来場者の皆さんからたくさんコメントをいただき「誰かの記憶」が手にとった人の心にも響くことを教えてもらった1冊です。

*Web上に掲載している文章は、Web用に少し再編集した内容です。

 

Interview,Writing,Photo :藤田理代(michi-siruve)
2015年12月取材
*Special Thanks 青空事務所

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