鞍馬へ
デザイナーのTaeko Hunnさんが「掌の記憶」の展示を訪ねてくださったのは、2016年11月。万華鏡作家の宮崎久美子さんと一緒に熱心に本を見てくださる中で「私の家にも10年前に亡くなった夫の品や、その後私が創作した作品がたくさんあるの」と本のご依頼をいただき、翌年3月に宮崎さんの案内でTaekoさんのご自宅がある京都府の鞍馬まで伺った。
左京区にある、緑豊かで静かな町。瓦屋根の家の扉を引くと、Taekoさんが迎えてくれた。
お父様が通訳者で、海外の文化が当たり前にある環境で育ったというTaekoさん。京都で仏教哲学の研究をしていたイギリス人の Richard Hunnさんと出会い、結婚してからは世界中に友人ができ、今も海外からのゲストが絶えないのだという。訪問した日も、Taekoさんのオーガニック料理を習いにきたというアメリカからのゲストが滞在していた。
居間には世界の名所や名産が描かれた世界地図の本があって、ゲストとの話のきっかけになっているのだという。
The memory of Richard
「繊細で優しい人だったのよ」という言葉とともに見せていただいた『The memory of Richard』という冊子は、昨年十回忌の節目にTaekoさんが編集して、集まったゲストにプレゼントしたもの。
イギリス在住時から来日後の写真まで、両国の親戚や友人への心遣いと、Taekoさんからのメッセージが散りばめられていた。
「彼が生きていた頃以上に、亡くなってからの影響もすごく大きいの」。Richard さんの病気が分かったのは、Taekoさんがデザイナーの仕事一筋で走り続けていた頃で、彼のためにと仕事を辞めた時には手遅れの状態。5年くらいは立ち直ることができなかったと静かに振り返る。
「彼の死で、もっと深く感じて生きなきゃと思わされたのね」息子さんとヒマラヤに登ったり、娘さんとアジアやヨーロッパを旅したり、家族の支えも得ながら立ち直るためのアクションを続けた。その旅で感じた自然やさまざまな国の素材との出会いがきっかけとなり、Richard さんの死から7年が過ぎた頃から創作活動をはじめたという。
ロンドンの街角で
創作をはじめるきっかけとなった手紡ぎの毛糸に出会ったのは、ロンドンの街角。店頭に飾られた毛糸の色合いに魅せられて中に入ると、世界中から集められた毛糸が並んでいた。ネオンカラーやブライトカラーよりも、少しくすんだような味わい深い色がずらり。オーナーに話を聴くと、アフリカやインドの女性が紡いだ毛糸など、それぞれに物語があった。
特にアメリカの女性デザイナーがデザインして、インドの女性が紡いでいるという毛糸は、細く裂かれたリサイクルのサリーやスパンコールなどが一緒に紡がれていて、文化や時代を越えて糸となったその色と感性にすっかり魅せられたという。
光に照らされた森の色や、海の色、土の色。自分が出会ってきた自然を思い出すその色合いにすっかり魅せられてはじめた創作活動。
2013年2月にデザイナーの友人たちとファッションをテーマに3人展を行い、11月には第2回を開催。ロンドンで出会った毛糸を軸に、日本の紬などの異素材を組み合わせて、旅先で出会ってきた自然の色合いを、ストールなどに表現した。
糸・布・小枝の出会う時
手元に残している作品を運び出し、夕暮れ時の移ろいやすい光をたよりに1つずつ写真におさめる。
イギリスのローズガーデン、ストーンヘンジの夜明け、ヒマラヤの雪解け、富士山のブルー…。毛糸の色合いを中心に、設計図は何も描かずに布と糸を手にとりながら手縫いで進める。作品によってはビーズなどの細かな欠片も散らしながら、長いものでは2か月近くかけているという。
暑さでゆらゆらと揺れる蜃気楼、着方によって変化する砂丘の波紋など、儚い一瞬を布に表現した作品も多い。
2016年10月に開催した初めての個展「こころの隠れ家 糸・布・小枝の出会う時・・・」からは、海のきらめきや森の芽吹きを表現したタペストリーなどが続く。
森の芽吹きから覗く小さな花を見つけてピントを合わせながら、好きな花は何かと尋ねると「庭園のお花よりも野に咲くハーブのような花の方が好きなのかもしれない」と、まさにその花のような答えが返ってきた。
熱帯の大自然と文明の跡
「実はここ数年で、また以前のように忙しい生活になってしまって。思い切って1カ月休みをとったの」。Richardさんの友人の紹介で、アムステルダム経由でアマゾンの奥地で暮らすシピボ族の村に滞在し、マチュピチュまで足を延ばした。熱帯の大自然に身を置き、文明の跡を巡り、さまざまなものを感じて帰国。「そんな節目の時期だから、自分が来た道を1冊綴じてもらいたくて」と言ったあと、その先どうなるかはわからないけれどと言葉を添えたTaekoさん。「その先に、次の自分がいて欲しいなとは思っているの」と続いた言葉に、綴じ手として少し嬉しくなった。
「これも今あたためている素材なの」と最後に見せてもらった糸の束。宮崎さんから譲り受けた、過去20年ほどの日本のファッション業界のトレンドカラーの見本帳の糸だった。この過去の色から何が生まれるのかと想像しながら、籠の中にひろがる色を写真におさめた。
「掌の記憶」のその先に
鞍馬から戻るとおさめた写真を1枚ずつ振り返り、レコーダーでもう一度Taekoさんの言葉を辿る。文化や時代のボーダーもこえて人と出会い、あたたかな思い出もかなしい記憶も受け止めながら凛と語るTaekoさんの声に、言葉にできない靭さとあたたかさを感じた。
1冊の「掌の記憶」に綴じられた記憶の先に、あたらしい物語が続くことを願いながら、このささやか本を贈ります。
取材後記
Taekoさんと引き合わせてくださった万華鏡作家の宮崎久美子さんと出会ったのは、今から2年前の春のこと。大阪で開催されていた宮崎さんの万華鏡作品の展示を偶然訪れたことがきっかけでした。「掌の記憶」をはじめたのはその年の暮れのことで、一度しかお会いしたことのない私の活動を陰ながら応援してくださっていた宮崎さんが「会わせたい友人がいる」とわたしの企画展に、Taekoさんを連れてきてくださったのでした。
本づくりはがん闘病をきっかけにはじめた活動であることを伝えると、Taekoさんも10年前に夫のRichardさんをがんで亡くされたことや、ご自宅にはまだ思い出の品がたくさん残っていることをお聴きし、その場で「掌の記憶」のお声がけもいただき、翌年の春に宮崎さんの案内で鞍馬にあるTaekoさんのご自宅に伺いました。
ご自宅にある思い出の写真や品からじっくり話を伺うと、Taekoさんが今生きる上で大切にしていることにはRichardさんの存在があって「もっと深く感じて生きること、つくること」という言葉のとおり、数年前からはじめた創作にもその想いがこめられていました。
10年という月日を経ても、確かにのこっているもの。そして少しずつ新たに生まれているもの。そのどちらも大切に抱きながら、人との縁を大切に創作を続けるTaekoさんの姿に、言葉にならないパワーをもらった『掌の記憶』鞍馬。早春の夕暮れ時に触れたささやかな記憶を、ここに贈ります。
Writing,Photo :藤田理代(michi-siruve)
2017年3月取材