旅の記憶 – 伊丹 –

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「息子の絵を小さな本に」

「息子の絵を小さな本にまとめたい」と、兵庫県伊丹市に暮らすともこさんから相談を受けたのは、2016年11月末のこと。同じ伊丹市にあるベランダ長屋で開催していた「掌の記憶」の展示に、息子のアツくんと偶然来てくださったことがきっかけだった。

祖母の遺品や闘病の記憶などをテーマにした展示物に触れながら「自分も家族も、心の中で抱えていることはたくさんありますよ」と振り返り「こうやって本に綴じたら整理できるかも」 と1冊ずつ読み入ってくださった。

約1,700点の骨董品の写真を綴じた豆本『小豆本』を手にとると、話題はアツくんの絵の話に。

0歳の頃から絵を描き続けていて、家には数えきれないほどの絵が保管してあること。来年の春に、伊丹で初めての個展を開くこと。その流れで家に眠ったままの絵を豆本に綴じてもらえないかと相談も受けた。

「家族の記憶は、ご家族で綴じた方がいいですよ」と、アツくんとともこさんの本作りのサポートならと、個展に間に合うように本作りをはじめる約束をした。

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アツくんとの記憶

半月後にともこさんから送られてきた、絵の試し撮り写真。豆本を試作して見せると、絵からアツくんの話になった。

生後半月ほどはNICUに入り、たくさんの管に繋がれていたというアツくん。今の元気な姿から想像できないほど「最初は何もできなかったの」 と振り返る。施設に通いながら歩くことや食べることの訓練を続け、言葉が中々出なくても、バギーを押しては「あの花きれいだね」「楽しいね」と、ずっと話かけ続ける日々。

「とにかく続けていたら、二歳過ぎに突然、あーちゃんって言ったんですよ。私のこと」それから少しずつ歩きだして、どんどん好奇心も育ち、今となっては毎日本やテレビ、インターネットと国内外から情報収集する毎日。

「絵を描くために情報収集してるのねとよく言われるんですけど。たぶん情報収集が楽しくて、ただ何かを見つけたいんですよね」 その好奇心で出会ったものを、絵で表現。みんなに見てもらえて、語り合えたら一番最高。それが楽しくて、毎日絵を描き続けるアツくんの動機になっているという。

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絵を集めて、本に綴じる

自宅で撮影するコツをお伝えして、年末から2月頭まで撮影期間。まずはアツくんとともこさんで3日ほどかけて、家中から集めた絵の振り分け作業。紙も大きさも様々な絵の大半はアツくんの創作キャラクターで、各々に名前や性格がある。実物を見ながら「怪人・宇宙人・アメコミ」×「撮影する・しない」の6箱に分け、ともこさんが1枚ずつ撮影。500枚の予定が結局1,000枚になったその写真を預かり、豆本の原稿にして、2月中旬に製本レクチャーを行った。

原稿を蛇腹に折り、断裁、糊付けして3時間ほどで蛇腹豆本が1冊綴じあがった。1冊目はアツくんが特別支援学級の時間の2年間で描いた絵手紙が中心で、一生懸命関わってくださった先生の存在があってこそ。花の匂いを嗅いだり、お芋掘りをしたり。体験して出た言葉をノートに書きだし絵に添えていった。

「絵手紙で賞をいただいて市報の取材を受けた頃から、みんなに<アツ画伯>なんてと呼んでもらったりね」と、笑顔で記憶を辿る。残りの9冊は材料を渡して、自宅で進めてもらうことになった。

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片山工房さんとの出会い

「ただ今『ATU WORLD』10冊完成いたしました」とメッセージが届いたのは、個展一週間前の夜。アツくんが描きおろした絵がそれぞれ表紙になっていて「アツより私の方が喜んでるかも」と添えられたともこさんの言葉に嬉しくなった。

翌週、最終日の会場に伺うと、壁面に細長く作品が連なって、豆本や小さな作品が会場内にちりばめられていた。

ともこさんが綴じた豆本の絵から、アツくんに好きな絵を3枚選んでとお願いすると、そのうちの2枚は神戸市長田区にある片山工房さんで描いたものだった。「障がいである前に人であるといつも言ってはって、その言葉にものすごく影響を受けて」その後すぐにアツくんも通いはじめて、3年ちょっと。先日応募した絵が、兵庫県障害者芸術・文化祭の優秀賞に選ばれたのだという。

「入選の1つ下なんですけど、県庁に絵を飾ってもらえるみたいで」居合わせたお客さんからもおめでとうと声をかけられ「ありがとうございます」とアツくんも笑顔だった。

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ずっと 絵を描きつづける

「ちょっと休憩してから、アツと次のこと考えてみます」とメッセージをもらった数日後、アツくんとともこさんの会話を書き起こした紙を見せてもらった。

「個展してどうだった?」というともこさんの問いからはじまり「うれしかったねー」「またやるときに、みんな来てほしいー」と会話が続く。最後は「じゃあそのために、アツは今から何をする?」「ずっと絵を描きつづけるー」というアツくんの返事で結ばれていた。

伊丹市の知的障害者相談員を11年続けているというともこさん。「障がいがあっても、選ぶ権利がちょっとはあるんじゃないかって」アツくんが楽しく働くことのできる場所を求めてアートの事業所の見学を続けるうちに、相談を聴きながら「あそこは行った?」と紹介できるほどになった。

「自分に合っていて頑張れる場所が、自分たちのまちにもできることが夢なんですけど」その夢に向かって、アツくんと二人三脚で歩みを進めている。

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23年間の歩み

「今までは自分がサポートしている気分だったんですけど。アツが『できる。できる』と疑いなく言うから、じゃあやってみようって。そういう気持ちになれるんです」と、ともこさん。アツくん以外にもそういう人たちに助けられて、背中を押してもらっているのだという。

そんな2人の23年間の歩みを連ねた『掌の記憶』。「かあさん」と語りかけるアツくんの声に応える、ともこさん。2人の笑顔と声の響きを思い出しながら、ここに贈ります。

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取材後記

「息子の絵を小さな本にまとめたい」と、兵庫県伊丹市に暮らすともこさんから相談を受けたのは、2016年11月末のこと。同じ伊丹市にあるベランダ長屋で開催していた「掌の記憶」の展示に、息子のアツくんと偶然来てくださったことがきっかけでした。

箕面のマルシェに出店していた、michi-siruveの近所にアトリエを構える手織り作家のbooworksさんから「伊丹ならぜひ行ってみてください」と薦められて来てくださったともこさん。家族の遺品や闘病の記憶を、自分の手で綴じた作品たちをとても深く読み入ってくださり、ご自身やご家族の記憶について色々とお聴きするうちに「息子の絵を豆本にしてもらえませんか?」とご依頼をいただきました。

「家族の記憶は、ご家族自身で綴じるからこそ意味がある」その想いから、今まで製本のみの仕事は承っていないこと。年数回、ご依頼があればワークショップの講師という形で主催者さんの元へ伺い、記憶を綴じるお手伝いはしていること。その2つをお伝えしながらも何か力になれないだろうかと考えて「ともこさんが綴じるなら、お手伝いしましょう」と、思い付きで提案してみたのでした。

この日の思い出話になると「michi-siruveさんに作ってもらうつもりでお願いしたんですけどねぇ。まさか自分が作るなんて!」と苦笑いするともこさん。家中に眠ったアツくんの作品をすべて振り分けて、1,000枚の絵を撮り、100枚ずつ10冊の豆本を綴じる。初めての挑戦にしては大変すぎるこの大仕事を、楽しみながらやり切ったともこさんの姿を見守りながらの3ヶ月。出来上がった本に触れると、自分が綴じたもの以上に感慨深いものがありました。

「綴じてみて、ちょっと嬉しい気持ちがいっぱい」と本作りの感想を伝えてくれたともこさん。今までは家で1人でクスクス笑ってたアツくんの絵を、いつでもみんなに見せて、一緒に笑うことができるのが嬉しいというその言葉に、私もとても嬉しくなりました。最初の依頼はお断りしてしまった立場ですが、私からは「掌の記憶」として、親子で歩んだ23年間を辿った豆本づくりの記憶をお贈りします。

Writing,Photo :藤田理代(michi-siruve
2017年4月取材

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